独りはいかん

人との交流をゆめゆめないがしろにするべきではないと感じはじめている。人間、一人では生きていけないぞという声が少しずつにじむように浮かび上がってくる。分かっちゃいたはずなのだが完全に信じきることはできずにいて、しばらく独立独歩してみてやっとここにいたる。独りで生きていけるか試そうなどと思ったのは、他者とのかかわりを避けたかったということもうっすらはあるし、何より新しい環境になじめるか心配だったのもあるだろう。ちょうどいい理屈を見つけたと喜び勇んで飛びついて、しばらくやってみてその辛さに気付いた。独りでいても思想はいくらでもテコ入れできるだろうと高をくくっていたが、これがまたかなり疲れる。なにしろ自分だけではどのくらい考えてどの程度妥協したらいいのか分からず、さじ加減ができなくて、いつまでも悩んでしまう。そんでもって常に背伸びし続けているもんだから心休まる暇がないのだ。心理的にはもう修行僧のそれに近い。悟りを開こうという訳の分からない志に準じているような気分だった。独りでしこしこ脳内文章をつむいでも全然新鮮さはないし、かたい頭がさらに固くなっていく。そういう孤独な思考というのは常々感情の奴隷になっていて、ただその時々の心のほころびを癒すためだけに働く。ちょっと不安な心持ちだったらその不安を打ち消すためだけの言葉を頭の中でひたすら呟き、死にたいような死んでしまいそうな気分になったら「いやまだ俺は死にたくない、自ら死ぬなんてありえねえ」と自分を鼓舞し続けるだけの脳になる。とにかく柔軟さに欠けてしまう。人との感情的なつながりを捨ててしまうとひたすら独りよがりな役立たずになり下がるのだ。これはきっと僕だけに限らないだろう。どんな人でも、「自分以外の生きた人」との笑いあいや感情の分かち合いを失えば、少しずつつまらない世界へと落ち込んでいってしまうだろう。これがきっと人間が人間であるゆえんなのだと思う。身近な世界で身近なものとしっかり関わり合わないと、満たされなさが心を占めるようになっていき、そのうち暗く虚しいばかりの死んだ心でかろうじて動く、寂しさが巣くったゾンビになる・・・と思うのだ。
こうしてみて思うのは、人とのつながりを何よりも大切にするべきだということだ。一人でできるものでも、独りでやるもんではない。そしてアナログなふれあいをほどほどにもつべきだ。言葉だけでは心安らぐことはない。