耐え続けるという愚行

変わらないのはよいことなのか悪いことなのか。変えたいものはあるけれど変え方がわからない。多少無理しつつ、しなくていいかもしれない背伸びをしている気がする。苦しいから逃げ出したいのだけど、壁は自分の中にあるからどこまで行ってもきっと避けられない。悩みはいつまでも形を変えずに巣くっているような気がするのだけど、それが本当に同じ悩みなのかはどうあがいても主観でしか語れないし感じられないからその通りだと決めつけられはしない。判然としない焦燥感がいつまでもいつまでもしこりとなって心を圧迫し続ける。肩こりから来る頭痛?それとも俗に言う心の病?原因を探りたいけれど人には聞けないし相談するのもはばかられる。重大な問題ほど(重大だと自分が思う問題ほど)他者に打ち明けられるものではない。主観的に感じられているだけで、原因となっているものが目に見えずはっきりしていない問題は実に厄介だ。体の傷なら人に見せられるのに、脳裏にいつも、頭の片隅にいつもたれこめている不愉快なもやは、晒すことができない。いつになってもどこであっても晴れることがない。もう自分の中にも形は残っていないのかもしれない。形骸化した不愉快さだけが、解消法に巡り合えずにただただふわふわとたゆたい続けているのかもしれない。体の疲れは癒せてもいつまでも引っかかり続ける焦りや不満や罪悪感は払拭できないままなのか。死ぬまでこれだったらいやだなあ。本当に嫌だぜ。自分自身の無意識部分や放っておけば流れてくれる時間に身を任せても救われないのかもしれない。わかっちゃいるんだ、自主性の足りなさは。ただやっぱり、すっかり根っこを張った恐怖心にはあらがえない。あらがえない。でも、どうしても抜け出さないとだめだと感じる自分だって、いつだって頭の中にはいるんだ。解消されない不快さとそれを打ち倒そうと不器用に抗おうとする、たぶん抗っているであろう自分が、相対し続けている。失われていく可能性より、新たに得られていくはずのもっと素敵な、素晴らしいはずの可能性を目指して、猪突猛進やっていくのがいいのかな。うじうじし続けて、絶対に取り戻せないものである時間を余計に浪費する生活でいいのかな。いまのいままでの考え方を変革したらいいことがある、って思いたい。思えればいいな。
アニメばっかり見てろくに読書しないとひどい文章になるもんだ。言葉もしばらく使わないとなまる気がする。てかなまってるよ。主観だけど。なんだって主観か。もっと主観を大事にするべきなのか・・・。