生きることに価値はない。生かすことに値打ちがある。

継続は力なりという言葉がある。続けることが力であるということだ。続けること自体が能力のひとつなのだ、と言っているんだと思う。行為を何度でも繰り返せることを、ステータスになりうる要素とみなしているんだろう。

同じことを何度も繰り返していると、そのうち飽きてくる。いくら面白い芸人でも同じネタばかりやられたら飽きる。でも、生死に関わることは飽きない。呼吸することに飽きてそれをやめたなら人は死ぬ。死んでしまっては生きていけない。生きることを続けられない。だから人は呼吸することに飽きやめることはない。

でも意識して呼吸しようとするのは面倒くさいし、眠ったら呼吸は止まって死ぬ。だから人に限らず全ての生物は呼吸を無意識に任せている。呼吸を無意識の中に落とし込んでいる。呼吸するという行為を、無意識という役割に分担している。面倒なことは無意識に任せているのだろう。生き続けるために継続しなくてはいけない行動。そういうものは大体、頭を空っぽにしていても行われていく。

ただ生きるだけなら、生き続けるだけなら、どんなものにだってできる。そこに力は見出せないし必要ないし存在しない。でも、生き続けられるのは自分だけで、生かし続けることはできない。現に僕は、ただただ生きているだけで生かしてはいない。明らかに、他の人たちによって生かされているのに。生き続けることは力にならない。生かし続けることこそ力になる。僕らが継続すべきは生きることなんかじゃなく、生かすことなのだろう。人を生かす、なんてちょっと傲慢な意味でもあるし、知識を生かす、ということでもある。

放っておいたって、人は勝手に生き続ける。無意識という永久機関で、プラスにもマイナスにもならないままで。だけど自ら生き続けることを放棄する者もいる。そこで、継続すべき何かがあることを思い知らされる。生き続けるために必要な、生かし続ける力が欠けているな、と。