他者を羨む月曜日

ちょっと羨みすぎている。あこがれすぎている。自分の人生なんか捨てて尊敬できる友人やあこがれてしまう友人や少しうらやましく思える人たちに成り代わって生きてみたい。今の自分の人生はいらない。さえない、癒えない、つまらない。僕なんかいないほうが世界は軋むことなく回っていきそうだ。あの人のように何かに打ち込みたい。あの人のように屈託なく邪推なく笑っていたい。あの人のようにいろんな人と気軽に会話を弾ませたい。あの人のように好かれたい。友人やクラスメイトや後輩や先生や親・・・周りの全ての人達を分析して分解して、何を考えているかを推測して誰も傷つけることなく生きていこうとする限り、僕は彼らのようにはなれない。何に秀でるでもなく何を追い求めるでもなくただ毎日の平穏だけを得る為にできるだけ不動を保つ。傷つけるのも傷つけられるのも嫌で曖昧に日々をやり過ごしている。不意に汚してしまうのはいやだ、意図して汚されるのもいやだ、と言って死んだのとまるっきり同じように生きている。愚かだ。人は取捨選択で生きる他ないというのに。何もかもほしいものは全て手中に収めようとか思っている。強欲極まりないと自分で思う。得たいと思うものがあるのなら、すでに得ている何かを捨てる覚悟が必要だ。もし何も持っていなかったとしても選択の余地を狭めなくてはならない場合もある。何かを捨てなければ進歩は得られない。逆に、何かを失ったとしてもまた別の何かを得ることになるという意味でもある。ふと、大切なものを失ったと感じたとき、それと同等かそれ以上に有益で素敵なものを得ているのだと思えば少しは楽に生きられるんじゃないかと、僕は思う。