勢いで書き付ける今日

会話とは勢いでやってのけるものである。とりあえず自分が楽しいことが大前提だ。自分が楽しくなければそれは会話ではない。対話とも言えないだろう。自分の腹のそこから声を出していろいろなことを口に出していく。記憶の底、脳の裏、腹の奥底、いうなれば心のそのまた奥の心からことばをしなやかかつ大胆かつテキトーにぶちまける。会話はそんなものであろう。内容?違う。空気?違う。綺麗に?くそくらえ。望み欲するがままに語る。望み欲するがままに聞く。そうしてむさぼるように言葉でのつながりを面白がる。読む書く聞く話す。言葉に浸かって、人との関係に浸かって、今日も今日とて人間とかいう多面性の塊はその短命を謳歌するのでありました。わけわかんね。

楽しく会話できた日。授業の合間も部活時もバス内でも言葉は活躍した。女の子と話せなくてやきもきするけど、それは相手から離しかけてくれるのを待っているだけの自分に責任がある。自ら目的に向かいたい。授業に身が入らなくて困るのでさっさと寝よう。女の子と付き合いたい。夢の中でならできる。部活は一週間ほどしかできないかも。夢の中ではできない。意地張って笑っていようと思った紅の豚放映中の金曜日。