背を伸ばしたくば背伸びしろ

自分を成長させたいならかりそめでもいいから一度大きくなってみるのがよい。
無理して贅沢をしてみたり、分かりもしない本を読んでみたり、
自分にとって憧れでしかないことに手を伸ばしてみる。
誰かがやっていることが気になって真似をしたくなるのは、無意識に背伸び欲求が湧いているからだ。
欲求には忠実でなくてはならない(この断言も「背伸び」だ)。
中二病高二病はたまた大二病はその世代に湧き上がる背伸び欲求に駆られかつ忠実に行動した者が呈するこっけいなさまなのだ。いわば誰しもがかかる病気でありそれは確実に過程として踏みしめてしかるべき衝動の軌跡なのだ。こうして難解な言い回しをしてその発言をする己を高尚化し「こんなこと言ってる俺ってカコイイ!」と陶酔し泥酔しネット上もしくは文章上での酔拳使いを無様に愚かに務め上げることこそまさしく病気であり背伸び。アルコールを自給自足し中毒に陥る、自業自得の体得者たる存在。それこそが若者であり学生でありそう俺そのものなのだ。「若さゆえの過ち」と人生の先輩たるおじいちゃんおばあちゃんあるいはオジサンオバサンママパパ姉兄友人は言うが、過らぬ者はいつまでも涎掛けして泣き喚くだけのケツ真っ青のちゃらんぽらんベイビーだ。ドラえもーん助けてーなんて今日びののび太も言わないだろうに主観者たる僕はいつも内奥で目を腫らし心病み挙句の果てにお前等みんなバカじゃねなんて嘯いて虚勢張り張り自分の殻に内側から鍵かけてさながらパールを秘めた貝のふりして内向化しているのだ。本当に病んでいる、だがそんな自分が大好きなのだ。だって俺酔拳使えるんだもんね。


背伸びをすることでこんなにもイカした文章をかりそめであっても書けるのだ。従って背伸びは是。正しい。素晴らしい。そしてとても刹那的で輝いている。


だが一つ絶対と言い切ってもいいくらいに大切で必要な行為がある。
反省だ。自分の背伸びした結果を静かに冷たく見つめ、そして醜さと愚かさをとくと味わうのだ。この段階がなければ背伸びはその場限りの建前であり去勢、いや虚勢に過ぎない。
踵をつけてみればなんてことはない、平均身長にも満たない自分がいるだけだ。
全力を出し切って背伸びをした果てにあるのは再び醜悪さを発露させはじめる自分、それと晒してしまった赤っ恥だ。いまさらのように惨めさだけがこんこんと溢れゆくだけ。
だが恥ずことでしか得られぬものが世の中には満ちている。そして誰もがそれを味わう。
しかし今ネットに溺れる者は恥をかくことを忘れている。体験談を聞き、知ったような顔をして、やり過ごしまた忘れるのだ。失敗談から得られる教訓など言葉にできる程度のものでしかない。必死こいて恥かいて脱臼するほど手を伸ばして。自分で感じ取るのだ。言葉にすることもする必要も生まれない「大事なこと」を。

馬鹿っぽい行動だって、自分でやってみて楽しけりゃ有効なんだ。



背伸びなき成長などクソッタレである。反省なき背伸びなどハナッタレである。

健やかに恥じ続けるのだ若人よ。