会話についての思考材料メモ

コピペは難しいなと感じた。コピペの弊害も脳裏をよぎった。絶対コピペだけじゃ記事の内容は正しく伝わらない。これは自分用メモにしかなりえない。他人のメモにはならない。その記事を読まない限りは。

初めて会う人と話す時、”歳を聞かない”と”職業を聞かない”ようにしてる。相当無意識の有意識で。人と話す時、必ず最初に聞かれる質問ベスト2なんじゃないかと思うが、ほんとこれ聞かれるのがイヤ。別に答えますけど、22歳でスチュワーデスとか、38歳ドモホルンリンクルとか。この2つを”まず”聞く人はどうも「つまらん人間だ」と思えちゃうのよー。これは自分との戦いでもある。だってこの史上最強のパーソナリティ決めつけクエスチョンが使えないんだから、会話が続かないっつーの。ただでさえ、しゃべるのが億劫な私にはすげー苦痛。てか、SであってM?とにかくつまらん自分になるたくないあるよ。
昨日寝る前に思ったこと - うっとりさん

75 :Mr.名無しさん :2006/09/24(日) 11:16:41

相手が敬語だと会話が弾まない法則

151 :Mr.名無しさん :2006/12/03(日) 10:00:05

こちらの会話能力が問題なのではなくて、
相手の会話を続けたいという気持ちが問題なのでは?

http://guideline.livedoor.biz/archives/50767076.html

人と、会話を続けようとしない。

例えば誰かに会って(テストが終わった直後でも良い)、「どうだった」と社交辞令的話掛けで会話が始まった場合、僕は「こうだった」と答える事があっても、僕が「どうだった」と聞き返す事がほとんど無い。

それが社交辞令であるのか、本当に僕の数日の境遇を聞きたくて(あるいはテストの出来を聞きたくて)発した質問なのか、僕が判断が出来ないので、聞き返す事が社交辞令になるのか、その人が僕に対して聞きたい事を今度は僕が聞きたくて発した質問になるのか、相手も判断に困るだろうと思うのだ。僕は、多分、聞いたって良いのだけれど、聞き返す事はほとんどしなかった。
人との会話 - DiaryException

映画「三年身籠る」が興味ぶかいのは、男女の性差について描かれたシークエンスが数おおくあることで、象徴的なのは、主人公の妹が、恋人の男性に対して、「今日だけ、一日だけでいいから、女の子になってほしい」と頼む場面である。そこで彼女は、ふだんから慣れ親しんだ女性同士のコミュニケーションの作法を、男性に求めてしまう。これはなかなかおもしろかった。たとえば、「女の子がなぐさめるみたいに、私をなぐさめてほしい」といい、男性がそのリクエストにどうにか答えようと、女性の口調でなぐさめようとすると、「そうじゃない、それはオトコの前でなにか話すときの女の子でしょう。女の子が女の子をなぐさめるのはちがう」と怒りだす。わたしはちょっとわらってしまったのだが、彼女がなぜ怒るのかといえば、女性には、自分がいった言葉に対して、このように返事をしてほしいという模範解答があり、同じ女性であれば、当然のごとく正解を見つけだし、期待通りのなぐさめ方で自分を元気づけてくれるのだが、男性にはそれができないということにいらだっているのである。
http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060222#p1

だから、答えを探して悩んでいる人に対しての僕のひとつの回答は、「僕も答えを探している」ということだ。道に迷った人に対して、僕も道に迷っているということだ。気長に道を探そうということだ。気長に探す道もまた楽しいということだ。実際に、話してみて、道を探すことが楽しいと実感することだ。
http://d.hatena.ne.jp/yuyu99/20061018/p1

最近「俺が死んでも誰も悲しまない」というようなことをいうひとが身の回りに多い。そして私は、そういうのに、うまく返すことができないので困る。

今日のそれはわりと仲のよい友人だったので、悲しまれなくてもいいんじゃないの、と(わりと本音に近いことを)いってみたら、『そういうときは「私がかなしい」とかいうんだよばか』、とおこられた。けど、たぶんそう答えたところで、適当なこといって、とおこられる気がするし、私の歯も浮きまくる。

そんでも、別れた後に想像してみたら思ったよりずっと悲しかったし、そもそも誰も悲しまないってお前がいってんじゃんかって突っ込めば良かったのかもしれないけれど、結局は、私が期待されてる言葉を返せなかったってだけなんだろう。

そういうのはあんまり好きじゃない。けど、その気分は想像できるような気もして、言葉の真偽とか私の考えよりも、期待される言葉を返すことが、必要なときもあるのかな、とか、考えた。
会話ってむずかしいみたい - イチニクス遊覧日記

まあ何にせよ、会話の成立しない人は無敵です。今も昔も、そしてこれからも定期的にそういう人たちが出てくると思いますが、消耗しきらずにどうにかして生き延びていきたいものです。
2005-10-16 - 砂上のバラック

そして会話はキャッチボールなのである。つまりそこに目標などない。ダラダラと続けることが大事なわけであって、間違っても取りにくい球を投げてはいけないのだ。相手が返せるような球を投げあって、ただひたすら時間を潰す。これこそが会話と言う奴なのだ。
2006-06-24 - 九尾のネコ鞭

そんなこんなで道を歩いていたら、高校生とおぼしきあんちゃんたちの団体が後ろから歩いてきた。あんちゃんたちの会話。「アメリカのカトリーヌって台風、あれさアルカイダとかのテロじゃねぇの?」「馬路かよ」「ありえるーー、やばくね?」(あるもんか、アフォ:私)「でも貧乏な人が取り残されて死んだんだろ。かわいそうだよな」「アメリカって差が禿げしい国なんだな」「日本もああなるってこと?オレたちやばくね?」「そんなことはないだろ。選挙でそんなことどの政党も『台風で貧乏人が死なない国にしよう!』とか言ってねぇもン」「だからかえってやばいのかもよ」「いずれにしてもテロはやだな」。わはははは。笑いをこらえるので精一杯であった。笑ったらおやぢ狩りされそうな迫力の連中だったのでよけいそう思った。なんかこの椰子らに計り知れないものを感じてぶっ飛びますた。
今どきの高校生の会話 - BLOG_inainaba