思っていても口に出さなければ相手の心には届かない

俺は普段の生活の中ではあまり喋らない人間だ。他人に自ら話しかけることも少ないし、そういう態度をとっているからなのか元々そういう体質なのかは分からないが話しかけられることも少ない。自分勝手だが、寂しさを感じることは多々ある。だが、会話をしていないからといって何も考えていないわけではない。何も感じていないわけではない。近くにいる人たちの会話に聞き耳を立てては内心突っ込みを入れたり、いかしたジョークを言っていたら内心ほくそえんだり、同意できることを言っていたら内心うなずいていたりする。正直自分で自分が気持ち悪い。あまり親しくない人たちの会話の輪に無理やり入っていって思っていたことを言うのは、うざったいだけだろうからしなくてもよいとは思う。でも友人達の会話にすらそのような「内心会話」を適用してしまうのは、どうなのだろう。思っていたことを言うことで影響を与えるのが怖い。言うことで、思っていたことが相手に知れるのが怖い。突き詰めれば、嫌われたくないのだ。それでも言葉を相手に放たなければ自分の意向を汲み取ってはもらえない。嫌われる恐怖に臆することなく幾分わがままに自己を発散しなくてはいけない。

ここまで書いて、自分がうまく喋れないのは受け入れてもらえなかったときに傷つくのが怖いからなんだなあと気づく。怖くて喋れなくて、本来なら気にする必要のないことにばかり目がいく。そして、最低限自分のするべきことすらもできなくなって他人に助けられるという悪循環に陥る。そこからは他人への依存へと連鎖するのだが、ここにきて受け入れられないことへの恐怖が再び自身の内向を深める。またしても、喋れなくなる。いやらしいほどに完成された負のスパイラルだ・・・。

いっそ自分勝手度80%、気遣い20%くらいで生きたほうが世のため人のため自分のためになる気がしてきた。

みんな自分勝手に生きてください。そんで、たまに、気まぐれでいいから、谷底に落ちようとしている、あなたと同じ旅人に手を差し伸べてやってください。他人を助けるにはまず自分ありきなので、あくまできまぐれに。