頭空っぽでも、ほっとくといつの間にか満タンになってるのはなぜよ?

書く事など決まってはいないが、ひとまず書かないことには日記は機能しないので、思いつくままにキーをたたいてみるのだけど、なんとも身になりそうに無いことばかりが表示されていくさまを見て、いま己がキーをタイプしていることの無駄を感じつつはあるので、将来の自分のためになりそうな知識経験思い出その他をずらずら列挙していこうかなーと考えるのである。書く事、書く内容、テーマもろもろは、ないから書かないのではなく内面からほじくり出すのだといろんな人に言われてきた気がする。親とか先生とかネットで一方的に出会った誰かさんとかに。でも無理やり自分の心をえぐって、広大な記憶の海の底辺に沈んだ思いの濁りをすくいあげて文章化するっつーのは、いつまでたっても大変疲れる行為なのだよね。もちろんそれがうまくいったときは、清々しい快感とやり遂げた疲労感が得られて、書くって素敵だなあなんて思いすらも浮上させる。だとしても、再び書くという行為に立ち向かうときには、そんな思いはとっくの昔に頭ん中の底なし沼に没してしまってるんだ。宝箱を開けて素敵な宝を手にしたあと、もういちど宝を眺めてみようと荷物を漁ってもほこりしかでてこない。みたいな。

宝物って自分の周りにあるもんだと思ってたけど、最初から持ってたりするのね。

大切なものはいつだって、心の定義で変化する。とか気取って意味分からんこと言ってみる。これもまた逃げ口上。見てる側からすれば、蛇足なだけの期限切れ免罪符。