揺らがぬものに惹かれる

▽日記を書かなくてはと何度か思ったが書かずじまいになってしまった。書きたいとも思った。書きたいことはあった。今書き残しておかなければ忘れてしまうだろうとも分かっていた。忘れてしまってはもったいないなと感じてはいた。でも宿題や日常生活においてしなくてはならないことをこなすことに追われるばかりで行動できずにいた。やらなくてはならないこととは、他の人からすれば非常に些細なことである。入浴や歯磨きや明日の荷物準備などだ。これらはきちんと習慣になっていれば容易にこなせる行為であるし、習慣とすることも非常に簡単だ。むしろ身についていなければ自立できない。今は多くの習慣をつけておくべき時期だと僕は思っている。毎日、休むことなく、飽きることなく、大儀がることなく、継続することで頭と体に染み込ませる必要がある。それは今日だってやめることはいけない。明日だってやめることはいけない。昨日だってやめてはいけなかった。だから僕はそれらを継続して行うために「日記を書く」という将来的に身につけておくべき習慣を切り捨ててしまったのだ。いや、習慣を切り捨てたのではなく、それを習慣にするためにすべきだった行為をめんどくさがったのだ。これはとてもいけないことだ。習慣を獲得するための習慣をあきらめたのだから。これではいつになっても身につかない。僕は弱い。意志がとても弱い。意識も低い。興味も浅い。心が薄い。非常につまらぬ人間だ。そんな密度の無いこの僕がまともな人間になるためには、支えが必要だ。絶対に折れない柱。僕を僕のままに維持してくれる柱。それが習慣なのだ。そう。そうなのだ。僕が今すべきこと。なすべきなのは、習慣をつけることなのである。▽ちなみにこれは言い訳である。▼学校。体育の授業ではサッカーをやった。楽しい。が、自らの力不足を感じた。パスが下手くそだ。周りをよく見て状況を的確に把握して相手がとりやすいようにボールを蹴る。言葉にできても体現するのは難しい。▼英語。予習がもっとも大切だろうと感じられる教科。予習やっときゃ大丈夫とも言い換えられる。言語習得は僕からすると一、二を争うほど困難かつ苦手。だからこそ今のうちにね。▼我が高校にはゼミがある。調べ学習というやつだ。僕はメディアリテラシーについて研究中である。「論理的思考法」を軸にあーだこーだしようかと考えている。大変である。難しい。めんどい。▼修学旅行の写真を注文した。集合写真のみである。しかもタダである。ただし一枚限り。僕はそのタダかつ集合な写真だけを注文した。集合写真以外に僕が写った写真が見当たらなかったからである。ひどい!後で見返していろいろ思い出してやきもきしようと思ってたのに!まあいいか。楽しかったし。▼部活。やはり寒いよ。宝くじ当たったら屋根つけたい。まず筋トレやってから立ち。がしがし指導する。分け隔てなく指導する。指導して学ぶ。指導は人のためならず。指導はするけど肩肘は張らない。仕事人間になることを僕は望まない。気楽にゆく。うむ。メリハリつけると楽しいね。▼あの子と話したいなー。彼女とかもうありえんだろうけど、話せる女の子がいるというだけでも素晴らしいことだ。でも、高望みしてしまう自分もいる。まだわからない。今は自己の確立を急ぐべきか。▽知り合いの日記を読み、読み、読み漁り、みな揺れているのだなと思う。普段の姿からはそうは見えないのに。よく見ていないだけかな。おそらくそうだろう。多くの悩みを抱えている人は本人は辛くとも傍から見たらとても輝いて見える。すこしでも、僕とは遠くても、彼らの手助けができたならきっと喜びが胃に満ちるだろうと思う。僕は、揺らぎながらも地に足をつけていられる者になりたい。