頭ん中で饒舌な奴ほど寡黙であるという事実

だって僕がそうだから。頭の中ではよくしゃべる。相手は自分。口に出してはいないけど独り言を言ってるのと同じだ。その思考内容を人との会話に生かさない。人に言うのが怖い。考えたことを言う恐怖。レスポンスがなかったらどうしようという恐怖。きっと傷つくだろうなあという漠然とした恐れ。曖昧だけども頑として僕の前進をはばもうとする恐れ。邪魔で仕方がない。恐れるだけではちっとも成長しない。失敗で経験と知識を得るべき生物であるはずの僕なのに、失敗できない。失敗が怖い。拒絶される恐怖。話せない恐怖。それらがさらに別の恐怖を生む。人格の破綻。上っ面ばかりを気にして身動きが取れなくなっていく。恐れているだけでは何も変えられないとわかっているだろうに。

どうしてこうなってしまうのか。まあそれすらも知っているのかもしれない。

今を充実させようとする自我を破裂させろ。目先の充実と高揚を求めだすと小手先で自分を書き換えて姑息でもろい人間になる。うまくバランスをとってどんな道も成立させようとすると全て崩れ去る。選択することを許容しろ。

嫌いな人はいないよ、なんてふざけたことをぬかしている場合じゃない。好き嫌いがない人間は、根っからの聖人君子か、体裁を整えることしか頭にない八方美人どころか八方虚人のどちらかだ。後者である自分に全力で生きている彼らと笑いあう時間を共にする資格などない。あるのは人間観察と精神分析に明け暮れるだけの超つまらない孤独世界。今ここに住んでる僕からすると、この世界、ろくでもないですよ。

そろそろ孤独空間からお引越し。みじめさとむなしい楽しさと安心に満ちたこの住居にさよならを言うときだ。みにくくて複雑で人を傷つけることつけられることに彩られたあの町に、今日寝て明日起きたらお引越し。新しい環境での生活には初めのうちこそ慣れないだろうけど、そのうちよい影響も得られるさ。

住めば都は嘘じゃない。だからこそ僕は現状に満足していられた。でも受け入れられるからってそこが最高の我が家でもないものだ。今より素敵に見えるあの住宅地に行かなくちゃ。