己を知り感覚を知れば人間関係危うからず

頭の中で言葉を発する毎日が続く。実際には口にしないことばかりを頭の中でこねくり回す。言いたいことは、・・・断言は出来ないけれど、・・・ある。とは思うのだが・・・。人に言うべきことではないし、言えば、いや、言っても相手は『?』がふわふわと漂うばかりであろう。自己満足のために脳みそを活用しているのであろう。相手の為の言葉は一切生成されていない。自分を癒す為の言葉を脳みそが必死に作っているのだろう。この文章もまた、癒しの為のものだ。だってよくわからないでしょう?では僕は何を自分にしてあげればよいのだろう。それはきっと自分の感覚をしっかり見てあげることだ。味覚が聴覚が嗅覚が触覚が視覚が、そしてそれら全感覚と記憶と感情が混ざり合ってできた自己が欲しい欲しいと求めるものを自分で与えてあげる。自分の無意識を丁寧に扱ってあげる。今の僕には他者を省みない自身へのねぎらいが必要だ。自分の楽しみを知らずに?どうして他者への配慮ができる?


この文章は失敗だ。今の自分にすらこの文章の意図が分からない。
ほんとは分かっている。意味はないが意図はある。
アウトプットしたらすっきりする気がしていたからだ。なかなかそのとおりになった。
やはり書くことは欠かせない。この表現方法を失えば、叫ぶか歌うかでしか自己を伝えられまい。
僕がいま野生化したなら。そりゃあもう力強く叫ぶことだろう。


UWAOOOOooOOOOoooOOOOoO!