変わるには

自分を変えるには何をすればよいだろう。やはり行動してみるのがよいだろう。
まず動いてみる。一日動き続けてみる。自分に目標を課してやってみる。
一度動けたのなら、次にまた行動するときには、一度目より使うエネルギーが少なく済む。
で、一度目に行動を起こした日の翌日に、二度目の行動を起こす。
おそらく最初の見立てどおり、行動開始に要するエネルギーは少なくなるだろう。
でもそこで、この見立てに合わない感情が生まれる。
(昨日やれたんだし、今日やらなくても大丈夫だろ。明日でもできるさ。今日は休もう。)


一度の成功に酔いしれ、「自分は行動できるのだ」と、目標を完遂する前に自身を過大評価する。
これを何度も繰り返してしまった。僕は泥沼にはまった。
「一発目で大丈夫なら大丈夫」という自分の思い込みに縛られたままの僕は抜け出せなかった。
スタートをよりよくすることにこだわり、
スタート直後の『うまくスタートした自分を過大評価する』というミスを避け損なっていたのだ。
行動を開始することで、変わるための一歩を踏み出せてはいるのであるが、
それはまだ走り出す前の準備段階をクリアしたに過ぎない。
さらに大きなエネルギーを要するのは行動開始の直後。つまり一歩目を踏み出した後なのだ。
この一歩目を過大評価するミスは、ずっと行動できずにいた場合の一歩目『後』に起こりやすい。
それまでの「できないでいた自分」という積み重ねが大きく、
それを克服できたことにもまた大きな満足感を覚えてしまうからだ。
つい、『それまでの自分』と『一歩目を踏み出せた自分』を過剰に比較してしまい、
より良い今の自分をやたらにほめてしまう。
本来ならこの行為は自分にプラスに働くだろう。そこから先での原動力にもなる。
だが、ずっと行動できずにいた自分にとって、それは都合のよい言い訳になる。
怠慢になり。二歩目を明日にゆだねてしまう。・・・
これまでできずにいたという積み重ねが、「小さな一歩」を厳然たるものとして見せすぎてしまう。
一歩を大事にしすぎるあまり、二歩目をないがしろにするというミスを犯すのだ。


行動を起こす一歩目はとても大切だ。それがなくては二歩目はない。目標までたどり着けない。
しかし一歩目だけうまくいっても、まだ成功するかは分からない。
またすぐ二歩目を出さなくてはならない。一歩目の重みとともに前進する覚悟が求められる。
その点において、二歩目は一歩目より尊く、三歩目はさらに尊い
そして一歩目はしょせん一歩に過ぎない。
百歩積み重なってやっと、満足に浸る余裕が生まれるといえるだろう。


変わるには行動。行動には一歩目。より大事なのは二歩目・三歩目。目標は継続だ。