空論の日記

どうにもこうにも何かを習慣化するには向いてない脳みそのようだ。一日二日でたった一つの志すらも風化してしまうらしい。何よりももう書くことが思い浮かばなくなってきた。さすがに毎日おなじように外出なし開拓的行動なしでは何の変化も発想も生まれない。何かに追われているような形のない焦燥感とかやらなくちゃいけないことから目を逸らしているような背徳感ばかりが生涯の友のように付きまとう。そりゃいずれ必ず再び始まる大学に向けて物理の勉強でもしとかにゃあいけないのだろうし免許センターでもって受ける学科試験の予測問題でも解いておかんとお金をむげに扱う始末になるかもしれんのになーんにもやってないわけだから、自分を追いかけまわす焦燥感の何者かのうち何人かは分かり切っているのだが。それでもやらないでいる自分は意志が強いのかもしれない。「どんなにやるべきと思われることでもやらないでいる信念」が強いのかもしれないぞ。そしてそれらをやらないことで被る経済的・精神的・将来的ダメージに耐えうるだけの心を養っているわけだ。言いかえれば底辺であることへの順応。こうしてだらしない自分や何にもできない自分に慣れていくことでこれから先の人生を努力なしでも生きていけるような自己を作り上げていくのだ。などという考えが今までうっすらと浮かんでいたように思う。努力することで何かが変わっていってしまうような、変わってしまうことで生じる痛みを恐れるような気持ちがきっと多少なりとは僕を縛っている気はする。日記に関しては、まぁ心持ち気が晴れてきたからやらんでもいいかな。という怠け心ゆえに書くのを怠けようとしてしまったわけで恐怖からではないだろう。結果的にちゃんと書いてるわけだから意志が勝利したのだ。少しずつ変えていこうなんてスローガンは弱音のようにも聞こえるからあまり使いたくないけど、足しになるならやったほうがましだ。つーわけで現実から遊離気味の日記。