中肉中背、心は中二、コナン=新一

心の枠にとらわれているようだ。精神の枠に押し込まれてたようだ。すべてをすべて既存の何かで心に表わそうとしていたようだ。実に貧相な生き方になってしまっていた。しょせん人間が感じる何かなんて全て脳が作り出している感覚に過ぎず外部などなくても人はあらゆるものを感じていけると思っていた。いや今だって思っている。だってきっとそれはほんとのことだろうから。映画を見て感動したって、その感動は脳が作り出したもので映画自体が感動を帯びているわけではないのだから。だけどその考え方ではちっとも満足には生きられない。外を一切否定して内側にのみ神経を集中させることにしかならない。それでは何も得られない。感覚が全て脳による産物だとしても、脳がそれを作り出すきっかけになったものはどうあがいても変えられない、外にあるものだ。認識できるものにしか認識が及ばなくても、感じられていないだけで外側の何かは確実にあるのだ。外と内という表現もおかしいかもしれない。人間の体だって、おそらくは精神と呼ばれるものだって、すべて物理・化学法則なんかで動いてる、できているはずだ。ならば自己の本質であろう心と目に見えるいろいろなものを隔てて、確実にあると言えるのは心だけだ、なんて言うのはおかしいのだ。ちょっとオカルトちっくな気がするけど自分を納得させる屁理屈としては使えるんでないだろうか。なにはともあれ僕はどうも中二病っぽい思い込みを捨てきれないでいるようだ。どうしたら捨てきれるのだろう。なにかに活かせるのだろう。踏み台にしていけるんだろう。つーわけでとても悩んでいます!やることがないとすぐに訳のわからない方向に・・・