先のことを考えていれば要領よく行動できるかと思えば、案外自分に制限をかけてしまってきびきび動けなくなるのではないか。

先のこと、とは、未来のことである。明日のことでもあるし、明後日のことでもあるし、一週間、一ヶ月、一年、はたまた一分一秒先のことでもある。時間の大小、遠近は関係なく、とにかく今より先の世界のことを「先のこと」としている。

どの程度「考える」のかというと、頭で考えるというよりは漠然とした感情として『明日は体育があるなあ。めんどいなあ』ともやもやする程度に小さく不明瞭な悩みを感じるレベルでもあるし、もっと複雑に、正確に言語化して脳内を整理する勢いで思考するレベルでもある。「考える」内容の密度は空気ぐらい薄くもあるしダイヤモンドぐらい圧縮されてもいる。

「制限をかけられる自分」もまた、自覚できる意識レベルの自分から、まったくの無意識レベルまで変動する。


つまり、未来を想像することで、その想像に恐怖し、他人に遠慮して最小限の行動しか起こせなくなるのではないか、ということを言いたかったのだ。

すこぶる分かりづらいので、読むときには自分なりの解釈を積極的に促していただきたい。文章読むときは誰もがやってるかもしんないけど。