理由を求めるな。そんなものいつだって捏造できる。

文章を読んでいてよく意味が理解できないところがあったりする。作者には直感的に分かるのだろうが、読者は少し考えなければ分からないような部分だ。小説なんかだと、想像しにくいシーンがそれだ。なんだか書かれているし、正しい文章になっているのに想像しづらい文章。僕は灼眼のシャナを読んでいてそういう文章に出会った。アクションシーンの一文だったのだが、正直わけが分からなくなった。頭がごちゃごちゃした。頭痛が痛いとか、危険が危ないとかいうチャチなコンガラガリかたじゃ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったように覚えている。そんぐらい想像に苦心する文があった。でも、読んでいくうちに文脈からなんとなく情景が思い浮かべられるようになり、その一文にこだわる必要はなくなった。それでも今ここにこうして書き起こしてしまうぐらいには印象に残る「分かりにくさ」があった。なぜその文章が分かりにくかったのかの原因も理由も、手元にシャナの文庫がない以上、確かめられない。おぼろげながらに、その文章は書いておくべき部分をがしがし省いていたから分かりにくかったんじゃないか、と思っている。「おぼろげに」、そんな感じの原因が記憶から湧き上がった。この「おぼろげに」が、厄介なのだ。曖昧な原因っぽいものが記憶にこびりついているせいで「おぼろげに」でも理由が見出せてしまう、厄介さ。なんとなく分かっているからこそわずかばかりの進退も困難になってしまう。なんとなく答えが手に入っているような気がするせいで、実際に答えを手に入れるためにすべき行動を起こせなくなる。理由をどうとでも捏造できるということには、どこからでも真実へと結びつきそうな選択肢の恐ろしさが、確実に、潜んでいるのだ。

理由があると安心できる。自分でなぜそうなるかが把握できるから。
だが、曖昧な理由で安心していると足元をすくわれる。
そして、大抵の理由は曖昧だ。いくらでも増やせる。
理屈の正しさに心奪われてしまうより、行動の潔さに感化されていたほうがずっと良い。

(分かりづらい・・・orz)