自分に問いをぶつければいくらでも書ける

自分に5w1hをぶつけていけばいくらでも書けるし考えられる。「なぜ?」そりゃ問いには答えがあるからさ。自分で答えを作れるからね。「どうやって?」どうやっても何も思うがままに書いてみたり考えてみたりすればいいんだよ。そりゃ稚拙かも知れないけどさ。やってるうちに成長できるじゃん。「いつ?」その質問おかしいぜ。時期なんか聞いてどうするんだよ。関係ないじゃん。「どうして?」どうしてとか言われてもなあ・・・。困るよ・・・。「なぜ?」そんなに聞かないでよ。僕にだって答えられることと答えられないことがあるよ。無理やりこじつけるにしたって限界があるし。「どうして?」いやいや、君はなぜとかどうしてとか投げかければいいだけなんだろうけどさ、僕は考えつつキーをタイプしつつ他にもいろいろ進路とかメールしようかなとか悩まなくちゃいけないし、勉強してないことに焦燥したりもしなきゃいけないんだよ。君も少しは考えてみてはどうかな。「どこで?」どこでと来たか、その質問に答えるのは僕には無理じゃないかな。だって問いかけてるの僕だし答えてるのも僕だし堂々巡りだよ。どこでも何も頭の中としか言いようがないじゃないか。難しいよ。「何が?」はじめてのwhatが来たね。そりゃ君の質問に答えるのが難しいのさ。というかね、別に何か答えを求めてこんな思考実験してるんじゃないし、いや、でも答えはあるのか。自分に問いかけ続ければいつか何かの答えが出るだろうし。「どんな?」それは続けていかなきゃわからないよ。決まっているものでもないしさ。答える側がどんな方向に話を膨らませるかだよね。つまりは僕しだいってこと。「なぜ?」僕が、例えば蟹の話をいきなり始めたとするじゃん。そうして蟹について語っているうちに話題が蟹へとシフトしていくわけだ。そうするとあら不思議。いつのまにやら蟹について問いかける文章ができているというわけだ。これはびっくりだね。「どうして?」だって最初は何にもなかったんだよ。更地から始まった文章がいつの間にか蟹についてのものになっていたなんて誰が予想しているだろう。そこが文章の魅力でもあり人間の脳の不思議でもあるよね。ニューロン同士のつながりがさ、それこそ変なものとか意味のないものとかを作っちゃうんだよ。脳の神秘ここに極まれりだよね。「何が?」ひどっ。君話聞いてないでしょ。もう少し適切な問いを投げかけてみる努力とかしてよ。問いかける側しだいではこのエントリも化けるかもしれないよ。それはまあ僕の手腕しだいだけど。「どのようにして?」5w1hのhが来ちゃったね。どう答えようか。どのようにしてかぁ。どのようにもなにも面白おかしく読み応えのあるそれでいて意味ありげで教養にもなる素敵な文章を書き上げるのさ。読者を満足させるし考えもさせる文章を書けば、いい感じのエントリが生まれるってわけさ。すごいだろ。「どうして?」そう言われてみるといい感じのエントリ書いてもいいことってあんま無いんだよね。ちょっと自尊心が満たされるだけだなぁ。自分が書いてて成長できるのが一番いいのかな。そもそもそこまでする必要ないよなあ。書ければそれでいいんだし良いエントリなんて目指さなくていいのかな。てかいいエントリってのはつまりブクマされまくる文章ってことだろ。たくさんのブクマを目指してたくさんのブクマが取れそうなものを書こうとして書いても得るのはブクマだけで成長には大して関与しないよね。むしろ幼稚化みたいな。「ふーん。」飽きちゃったかあ。僕も飽きたよ。思考を深めるってのもなかなか骨が折れるね。てかちゃんと深まってたのかな。どう思う。「?」どうせ君はクエスチョンマークしか出せないよね。自分で頑張るからいいよ。君はそのままで。「なぜ?」もういいよ。