目的を持とう

手段が目的になると時に危険を呼び寄せる。無意識に手段の目的化をしてしまうと気づかぬうちに心の闇に飲まれていたりする。手段が目的化した場合のメリットもあるにはあるが基本的には自分を追い詰める羽目になったりどうでもいいことで悩んだりで、諸刃の剣だと言えるだろう。手段を先に用意してその手段から目的を見出すことも可能ではあるし、「未知」に触れるわけだから自分の視野を広げる上では非常に有効だ。目的を設定してから手段を導き出すよりも有効かもしれない。だがそれは例外でもある。基本あってこその例外だ。まず思考のスタート地点として目的の設定がなくてはならない。あったほうが楽だとも言い換えられる。目的から手段を導き出す場合たいていは自分のやりやすいものが思い浮かぶだろう。そして容易に取り扱える手段というのは得てして単純明快なつくりでありそれ自体は耳掻き一杯ほどの労を要せば済んだりもする。目的から思考を展開していけば、他者でも分かりやすい上に単純で小難しいところのない至極便利で楽な手段を構築していける。目的を明確にすることを怠らず、導き出した手段を使用した結果を反省し、その前述の二つを自覚的に継続すれば、まあなんだかうまくいくんじゃないかな。

「目的を持つのは大事だ」ということを読んでくれた人や知りたがっている人に伝える、という目的を持って書いたらこうなりましたがどうでしょう。