もうまともには生きられない

あの子が俺のことを好きなのはなんとなく分かる。ばったりと学校内で出会ったときのしどろもどろな感じからも、彼女の日記からも分かる。というか日記をネット上でとはいえ勝手に読むなんてほんと自分は下衆だと思う。下衆でダメな人間だ。自分の殻に閉じこもっては思ってもないことをもごもごと、相手の目も見ないで呟いているままの俺ではいかんのだ。嘘ばかりついて本音を言わず、いつまでもうじうじと空論をこねて自分を説得する。自分に自信がないからこうなるんだ。自信を持つためにしなくちゃならない「やるべきこと」に未だ手をつけられていない。だからこうなるんだ。いつからまったく同じ、昔から不変の悩みをかかえてとぼとぼしてるんだろう。ずっと他人との関係について悩んでる。「明日こそはうまくいく」って思いながら、お気に入りの曲を聞きつつ布団にもぐりこむ。明日こそは勉強するぞって思いながら。結局しないで毎日毎日同じようにして布団にもぐる。風呂に入ったらやろうと思うのだけど、風呂から出てきてぽけっとしてると眠くなって明日でいいやと寝てしまう。「どうして?」明日ってやつに期待しすぎてるんだ。明日の自分に期待をかけすぎてる。なぜこうなるんだろう。こうなるんだろう。

現状に満足してる。今のままでいいと思ってる。この、「ちょっと客観的な心持ちが強すぎて自分のことでも他人事で、そんな自分を観察して過ごすのがまあめちゃくちゃではないけど楽しい、楽しめてる自分」てのが好きなんだ。メタな自分が好きなんだ。この現実感のなさが好きなんだ。もっと言い換えれば、「何かに夢中になるでもなく、目標を設定して頑張るでもなく、理想を描いて夢を見て『人生は楽しいね』とか言っている自分になってしまうのが嫌なんだ。周りが見えなくなって自分の世界に没頭してしまうのが嫌なんだ。誰かに影響を与えられることがなくなってしまうこと。影響を受けられなくなること。誰かを思いやれなくなること。思いやっている、という気になれなくなること。自己満足がなくなること。他人との比較で自分を確立できなくなること。そういうのがいやなんだ。主観が楽しすぎて他者を自らの人生に介入させなくなってしまうことを恐れてる。周りが見えなくなって、自分以外が俺のことを笑っていても気づけなくなるのがすごく怖いのだ。自己中心に陥る恐怖が僕を足止めさせているということになるのかな。だからそれはこういうことになる。「常に自己を反省している自分」という主観を排除してしまうことへの恐れがある。内省を忘れ自分の快楽に走り続けてしまうのが怖い。自分が楽しければいいやとなるのが怖い。自分の楽しさ以外見えなくなるのが怖い。後ろ指差されるのが怖い。そうだよ。僕とあなたとの温度差ってのが怖い。僕は僕自身の世界を理解できる。他者を思いやっている今の僕なら、思いやっているつもりになってる僕なら自分以外の他者を理解して、その人の趣味や思想に合わせて自らの思想を改変し、その人とともにその人特有の思想を共有し、楽しむこともできるだろう。でも僕が僕自身の世界に没頭し、自らの利益を優先するようになり、他者の世界を理解しようという考えを持たなくなったり、「まあ人間分かり合えないものね、一つの個体じゃないしね、同じ視点も考え方もあるわけないもんね」と諦めきってしまったならおしまい。僕は一人っきりで死ぬことになる。大げさだと人は言うだろう。でも僕はそうは思わない。楽しいってことは現状に対してゴーサインを出すってことだ。そのままでいいいのだ、と自分に対して宣告し、自らの考えをそのまま維持し続けていいよ、と言うのと同じである。自己肯定を、誤った思想、つまり他者を介在しない、他者を想定しない思想のままに行ってしまう。それは完全なる他者性の排除であり、この世界への永遠の帰結になる。いつまでも自分の殻の中、というわけだ。そういう意味では今の僕は、自分の殻にこもりっぱなしだとも言えるだろう。今僕自身が他者の存在を認め、かつ僕自身の中で他者に対し思いやりを行使していると自覚している場合でだけ僕は殻を破れているのだ。自らの中に他者を想定してあるかどうかが唯一の違いである。もし今僕が「この世は俺一人」という思想をもったなら、僕の中にある他者の目は消失し、他者を想定していない自分というのを発見しない限り、一生僕は一人っきりの世界に落ち込むというわけだ。怖すぎる。

つまるところこういうことだ。「勉強したり恋したりして世界を見る目が変わってしまったら、これまで自分が見てきた世界とか、そういう世界を見てきた「自分」ってのはどうなっちゃうのさ。消滅しちゃうんだろ?俺そんなのやだからこのままの俺がいい!不変がいいよ!」そんな感じになる。つまりわがままだ。もしかしたら言い訳かもしれない。ただ勉強したくないとか勉強してダメだったらどうしようかなとかいった思いから生じている予防線なのかもしれない。保険ですね。傷つきやすい(と自分では思ってる)自分の心を守るために、無意識と意識の両方で作り上げられた心の防衛システムなのかもだ。

僕はどうしよう。このままがいいのなら、このままがいいと本心で思っているならそれでいいのだ。
いや、いいのだろうか。変化を求めないってことだぞ。
でも、あの子と付き合うのなら、あの子と付き合いたいなら、自らに変化を促し、この嘘つきでメタで怖がりな自分とは決別することになる。
あの子と付き合えるだなんて思ってる自分がとてつもなくおこがましいのはわかっちゃいるが、なんか確信みたいなものがもう根付いちゃってるのだ。あの子の日記での記述を見てしまったからかな。いやらしいやつだ。

親が後ろを通った。ぞっとした。そんな僕自身はぞっとしない男だ。「ぞっとしない」という言葉には「感心しない」という意味があるそうな。変ですよね。日本語難しいわ。

僕は、どうしよう。自分の感情を信じる?それとも自分の理性を信じる?それとも他人を信じる?全部できてやっと成長した証になるんだろうけど僕にはできそうにない。苦痛すぎるよ。もう傷つくことにゃ耐え切れん。あー。でもほんとに傷ついてんのかなー。実は何の痛みも知らないくせにこんなこといってるんじゃないかしら。あー。うつ病だったりしてな。それでなくとも何か脳の病気とか。あー。疲れた。