はっきりと曖昧さなく発言しよう

自信がなくとも根拠が弱くとも力強く肯定された言葉をあなたは言うのだ。曖昧な物言いは聞く者の負担を増やす。自分の言葉は自分でしか肯定してあげられないのだから、せめて言葉を紡ぎだした本人の責任として自分の子である意見を力強く伝えてあげよう。頭の中から捏造された嘘を全肯定して発言するのは危険であるので、脳内フィルタで多少なりとは真偽を考察しそれを加味する必要はある。だが僕にとって邪魔な存在となり現実何度も思考と行動を阻害してきたそれもまた脳内フィルタである。過剰な濾過によって思考内容は淡白になり己の言葉は陳腐になる。思考を阻害するフィルタは己の未熟さゆえに邪魔になる。つまり、精度が高く邪魔にもならない必要最低限の濾過のみを施すフィルタを獲得することで、わずかの労力で自らの発言に力を付加できる。学習による視野の調整と、失敗を主とする実体験で、未熟なフィルタの精度を上げてゆくのだ。自分の言葉くらい世話できないで、何を伝え、伝えられようというのか。相手を思いやれようというのか。


発言に人は表れる。曖昧な発言は人格すら曖昧にさせる。相手からの信頼も薄まる。
力強い太鼓判を自分の発言に押してあげられるよう、脳内フィルタの研鑽に努めよう。




以下本エントリの草稿文

曖昧な物言いは相手にとってはどう返答していいか迷うので止めましょう。
いいたいことは濁すな、自分の意見に自信がなくとも断定せよ、お前の言葉にはおまえ自身が強さを与えるのだ。
一方的な会話では疲れてしまうので双方向で努力せよだ。
心に伝わらなければダメだ。言葉は意思が乗って言葉だ。表面での会話は破滅だ。
他者を想定して言葉を吐けよ。誰に向かっていってるのかぐらいははっきりさせような。自分の中だけでいいから。